モーツァルトと私

モーツァルトと私

今日はMozartにやっと開眼した私について書いてみようと思います。

幼稚園に通うか通わない頃、私は富山の速星という田圃と小川と井田川に囲まれた所に住んでいました。

両親は音楽好きの仲間と子供にバイオリンをやらせるだ、ピアノだとよく話していたそうです。

私は四季折々の動植物の変化を見るのが大好きで、毎日小川と田圃に出かけていました。
今も大好きです。

いつの間にか私はピアノを習うことになっていて、家のオルガンで"いろおんぷバイエル"という楽譜を母と一緒に勉強していてそれが終わった頃からバスに乗って富山市内の先生のところまで通うようになりました。

そして小学1年生の秋に横浜に来ました。
横浜には田圃が少なく小川はあっても汚くてショックでした。

1年生の12月くらいからピアノを習い始めました。
これもある日突然ピアノが家に来て習いに行くことになっていました。
ピアノは嫌いではなく、弾けることが楽しいとも思っていました。
ただ、両親が将来はピアノを弾く人になるのよ!といつもいうので、私はお医者様か看護婦さんになりたいのになぁと思っていました。

小学2年生の1月頃に4月の発表会の曲を先生に言われました。
それが、ソナチネアルバム1巻に載っているMozart kv485のロンドニ長調でした。
この曲は、明るく乗りのいい曲で私はすぐに好きになりました。
以来何かしらにつけてこの曲を弾いていた気がします。
曲に対する嫌な思い出もなく、きらきらしたものをいつも感じさせてくれる、そういう曲でした。

私は小学校4年生の時にモーツァルトのソナタアルバムを弾くようになりました。
ピアノの先生が代わって、その先生はモーツァルトとバッハとチェルニーとハノン‼︎
レッスンではそれ以外の曲は弾きませんでした。
指使い厳守の先生でどんなに弾けていても指使いを守っていないと合格にしてもらえませんでした。

中学生になってからは、指使いを守る事とピアノを弾くということとは違うのではと考えるようになりました。
バッハは指使いのせいで、すでに大嫌いになっていました。

そしていつもモーツァルトしか弾かせないのもおかしいのではないかと思うようになりました。

家では父がモーツァルト好きでピアノ=モーツァルトで、レコードはモーツァルトしか聞けなくて、ベートーヴェンやショパンに憧れていました。

高校1年の時まで、ピアノに進むかで迷いました。
でもピアノをこのまま続けると親の言いなりになる気がして、私は生物系に進学したくてピアノは趣味で続けることにしたのです。

でも直ぐにピアノ好きなんだってわかりましたよ。
朝からピアノ弾きたい日が続き、毎朝学校に行く前にも練習していました。
それでも嫌な思い出が一杯あるモーツァルトとバッハだけは好きになれませんでした。

バッハは大学の時に通っていたフランス語の学校の友達がバッハ好きで、ある日彼女が教えてくれた番組を聴いて私は泣いてしまいました。
ルチアノ・スグリッチという方のチェンバロの演奏でインベンションとシンフォニアを聴いたのです。
繊細な演奏で、カセットに録音していたはずがもうなくて...
演奏のバッハに歌があったに違いないと思っています。
それ以来、パルティータ、イギリス組曲、フランス組曲,平均律...大好きです。

それなのに、モーツァルトは嫌でした。

何十年もモーツァルトを弾くと先生に言われた嫌な思い出、母とのモーツァルトを巡るバトルとか思い出してしまい、最終的に怒って終えるという状況が続いていました。
怒るのがなくなったのはここ10年位です。

過去やった曲を弾かないようにしてモーツァルトに接近を試みたのです。

大学でやったピアノカルテット、ピアノトリオ、変奏曲...
音大に行ったのが遅かった私には、みんなみたいには弾けないという思いがいつもありました。

どうせだめなんだから...

でも、人前で弾く機会を作って参加していくうちに、持ち曲がなくなり、あのロンドを思い出したのです。

久しぶりに弾いたロンドから輝きが伝わってきました。
思い出に翻弄される事なく、初めて素敵な曲だなぁと思いました。
癒された気持ちになれました。

丁寧に弾いたり分析したりして、モーツァルトの曲の中のおしゃべり、場面ががらり変わったりする所が見えだして、今はとても楽しいです。

また気持ちが揺れる事もあると思いますが、
モーツァルトのこの曲だけは宝物の気がします。

音楽教室 Daisy

大人のための ピアノ教室、鍵盤ハーモニカ教室

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